成蹊会

成蹊高校3年D組のクラス会が月カフェで催された。

皆んな73才。あっ! 

野村馨先生が地域医療についてすばらしい原稿を書いて下さいました。

成蹊高校 昭和41年卒の野村先生が大月市立中央病院に於いてご活躍なされています。

地域医療が医学教育の大舞台になる

私は平成25年3月に東京女子医科大学を定年退職してから、大月市立中央病院で働いています。医学生、研修医、そして総合診療専門医を育てるのに大月市と大月市立中央病院が最適だと考えたからです。現在、医療界、医学界の直面している大きな問題がその背景にあります。その話を簡単に致します。

高齢化社会と2025年問題への対策

高齢化社会と言われています。高齢者の特徴として、一人の患者が複数の病気を有すること、リハビリや介護、精神的社会的問題への対応などが必要です。従来の医師の育て方は大学病院や学会が主導権を持っていました。おのずから狭い領域について高度医療を行う専門医を育成してきました。しかし、これでは高齢化社会における複雑な問題に対応することが困難です。幅広い診療を担い、地域と関係している家庭医、かかりつけ医こそ必要とされます。その対策として2017年から総合診療の専門医制度が始まります。きちんとした研修プログラムを終了し、試験を経て総合診療医(家庭医)の資格を取得し、その後も必要な研修を継続することで専門医としての質を保証する制度です。さて、2025年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になり、多死時代を迎えます。これが2025年問題です。現在は多くの人が病院で最期を迎えますが、今後はその余裕がなくなります。昔のように自宅で最期を迎えるための体制を作ることが、唯一可能な対策です。その施策として地域包括ケアが出てきました。診療所、病院だけでなく行政、介護施設、医師会、そして住民が連携しあって地域全体で医療介護を担う体制です。その中には自宅介護の支援体制も含まれます。総合診療医にはそのリーダーとしての役割も期待されています。

医学教育と2023年問題への対策

米国外で医学教育を受けた医師の臨床研修資格を認証する米国のECFMGが、「2023年以降は国際的に認められた認証評価を受けた医学部の卒業生にのみ受験資格を与える」との方針を打ち出しました。日本で医師資格を取得しても、米国では医師になる受験資格も与えられないとの内容です。この2023年問題を解決するには現在の医学教育を大幅に改め、その教育プログラムを国際的に認められたものとする必要があります。一番の大きな問題は講義中心の教育から診療参加型教育を増やすことです。平たく言えば医学生にも実地の医療を数多く経験させて学ばせることです。そのためには、まれな病気や複雑な病態を高度医療で治す大学病院ではなく、頻度の高い病気を数多く診療している地域病院で教育する必要があります。日本の医学教育において前項の高齢化社会が内圧で、この2023年問題は外圧ともいえます。大きな変革が求められているのです。そして地域医療がその変革の舞台となります。

大月市という舞台

大月市は高齢化率が32%と高く、高齢化社会の先進地です。行政単位としてはコンパクトであり、病院も大月市立中央病院という自治体病院がただひとつです。医師会メンバーも少なく、全体を見渡すことが容易で、地域包括ケアの制度設計、学生研修医の地域医療研修、総合診療医の研修に最適でしょう。 臨床研修センターでは医学生、初期研修医(医師免許を取得してから2年間の研修期間で幅広い経験を積みます)、そして後期研修医(総合診療医など専門医を目指している)を受け入れてお世話します。若手医師はどうしても都会志向がありますが、その人たちに大月に来てもらうには、教育体制をきちんとすることが王道だと考えています。そのため臨床研修センターが病院の窓口となり活動していくことが大切です。大月市立中央病院では平成26年春から東京女子医科大学初期研修医を「地域医療研修」(1か月間)で迎い入れています。また来年からは東京女子医科大学5年生(2週間)、山梨大学附属病院の初期研修医も受け入れます。さらに日本プライマリ・ケア連合学会認定施設として総合診療医の育成が始まります。山梨大学附属病院、山梨県立中央病院、東京女子医大(本院、東医療センター)の総合診療科とも連携の協定を結びました。 研修は病院以外の施設、職種、住民との交流で完結します。若い人へのご支援をよろしくお願いいたします。

大月市立中央病院臨床研修センター、総合診療科 
野村馨(成蹊高校昭和41年卒)

3年D組クラス会がニュー東京で行われました。

国広、田中君のお骨折りで多くのクラスメイト17名が参加。
平田先生もお元気に参加なさってくださいました。

平田先生の米寿を祝って

6月13日、平田先生の米寿を祝って、成蹊高校3年D組のクラス会が月カフェにて行われました。国広君、田中君のお骨折りでなつかしい面々が17名も集まり、55年前の青春時代にタイムスリップしました。

安倍総理の就任おめでとうございます

安倍晋三内閣総理大臣、古屋圭司国家公安委員長、拉致担当大臣の就任を、心から喜ぶと共に、お二人の経済、教育、外交面等に於いて、その力を遺憾なく発揮されるよう期待しております。ご存知のように安倍氏は小学校から大学まで通して成蹊っ子、古屋氏は、NY市立HSから成蹊高、成蹊大と成蹊色の強い方です。

平田さん 84歳日本代表

我が成蹊高校の担任平田博則先生が、84歳にして世界アマチュア囲碁選手権第5位に輝きました!我々の誇りです。

成蹊高校第12回卒業(1961年、昭和36年)3年D組クラス会

成蹊高校第12回卒業(1961年、昭和36年)3年D組クラス会が担任の平田博則先生をお迎えして、当店アダージッシモにて行われました。出席者17名の懐かしい顔に感激の1日でした。幹事の登内君ご苦労様でした。

今給黎篤弘先生のお別れパーティ

2004年4月9日、大月じゅうの本当に多くの市民がお世話になった、大月市民病院整形外科の今給黎篤弘先生のお別れパーティがアダージッシモで行われました。ちょっとこわ面だが優しい先生は、東京医大整形外科主任教授であらせられ、非常勤で大月市民の身体を約40年間も診てくださいました。
本当に感謝感激です!!これからも大月をお忘れにならず、ご健康でご活躍なさる事をお祈り申し上げます。
先生は成蹊高校第八回のご卒業です。

「くすのきの郷」の施設長として10周年を迎え“記念樹”を上梓

柏木洋子さんを 高津洋子さんと言いかえると、すぐさまあの懐かしくも美しい笑顔を思いおこす人は、我々の学年ばかりではないと思う。
高津さんがまっしぐらに老人介護の道を進まれたと知ったとき、みんな“ああもったいない!”と惜しみつつも、尊敬の念をもって、クラス会などでおおいに話題になっていたものです。
その柏木洋子さんが文京区立特別養護老人ホーム「くすのきの郷」の施設長として、ここに10周年を迎え“記念樹”を上梓なされた。同級生として心からめでたく、喜ばしく、誇りに思っている。その上、施設の名が恩師 楠本QP先生を彷彿される事も、ことのほか嬉しい。
柏木さんの今日までの限りない努力に敬意を表し、更に10年、20年と健康にくれぐれも留意し、この道を邁進されん事を切に願わずにいられません。

100th Anniversary

私たちの母校“成蹊学園”は、中村春二先生が「成蹊実務学校」をお創りになられてから今年90周年。来る2012年には100周年を迎える。輝かしい成蹊の栄光は、右側にある100th Anniversaryをクリックしていただくと、現在日本をリードして活躍されている諸先輩の名前を見るだけで余りのすごさに驚いてしまう!!
一人の優れた人物を生み出す事でさえ至難の業がこんなにも多くの力を生み出したという事実は、成蹊教育のもつ何らかの要素の結果という他に考えられない。

先日、同級生の小林誠君から“心の力”心力歌をいただいた。あらためて感動させられた!
校歌に歌われる成蹊精神の原点だ。高校・大学から成蹊に入った方は知らない方もいらっしゃると思うのでここに第八章の抜粋を記す。

限り無き心の力を知れ 果てなき心の霊を知れ
迷ひの作れる天地の他に 真の天地のあるを見よ

     略

身に享け得たる幸を あつくわが心に保ち
ひたすらにわれ依らず またひたすらに疎んぜず
悠々として立ち 平らかに思い安らかに動けば
物はみな我に親しくして 人はみな我が友たるべし
独り在ればわれ独り楽しむ 共にあれば人と共に楽しむ

     略

進みて国事に参ずれば よく百年の計を立て
退ぞきて野にをる時は 風を改め俗を移す

     略

限りある生を享くれども 限りなき力を後にとどむ
限られし地に身をおけど 限られぬ光を長に放つ

     略

心力歌の精神に少しでも近づける様、田舎にあっても誇りを持って生きていたい。そして100th Anniversaryの事業に母校の発展の為、多少とも恩返ししなければと思っている。

最近お会いした成蹊生
御実家は高円寺でいらっしゃるが、大月のNEC山梨勤務アクセス系デバイス部長の関口英五氏。大学工学部第7回生でいらしてお子様が成蹊小学校在学中の成蹊ご一家!!仕事とワインを愛するたのもしいタフガイです!!

御殿場に住まい居ります森雅宏と申します

今日はおいしく楽しいひと時を過ごさせていただきまして有難うございました。大先輩ではありますが、同窓の想い、初めてお会いした方のようではありませんでした。お人柄から、好々爺とお見受けいたしました。(どうも失礼)確かに、歌唱をおやりのように響きのあるすばらしいお声と拝聴いたしました。私は千葉の松戸に生れ落ち、その地より母校吉祥寺まで4年間通学しておりました。環七の外から外まで通うことに若干の理不尽を感じながらそれでも、その時間の読書を楽しみに通いました。大月は中央線でも楽しい駅でした。富士急の始発駅、岩殿山稚児落としの眺め、ゆったりとした扇山、その奥に聳える雁が腹摺山、また、これから始まる笹子越え、その後車窓に広がる春霞に煙る甲府盆地。殊に、遠く残雪を頂く白根三山、鳳凰三山を望む勝沼から塩山に下る大きなループは中央線のハイライトの一つでした。喜寿を二年前に迎えた私の母は若い頃、山歩きが好きで夜行列車を午前三時に大月で下車し当時の富士山麓電気鉄道に乗換え、暮地より三ツ峠に向かった話をよく聞きました。大月にはこのような思い入れがあります。山に囲まれた姦しい20号の喧騒。うなぎの寝床のような大月の町に極めてゆったりとしたテンポのお店は大変魅力でした。私の想いの中の大月であった気がします。これからも遊び心いっぱいのゆったりとしたお店をお続けください。今日は楽しい思い出を有難うございました。またお邪魔します。もしお時間がおありのときに以下の稚拙なHP、ご高覧いただければ幸いです。
敬具

富士高原鉄道ホームページ(http://www.d4.dion.ne.jp/˜m_mori/

山梨県成蹊会の皆様へ

成蹊大学 昭和47年度卒業生 小田部裕 皆様始めまして。私は平成12年3月から、河口湖カントリークラブに勤務し、現在河口 湖に単身赴任しているものです。この度天野さんからのご指名により、誠に僭越でござ いますが筆を取らせて戴きました。
成蹊には小学校4年生から大学(経済学部)まで、合計13年間お世話になりました。 ご多分に漏れず、小学校から大学まで一緒に通った多くの仲間と同様、人間性を重視す る一貫教育の良いところを(自分にとって都合の良いところだけか?)、十二分に謳歌 して楽しい学園生活を送らせて戴きました。
因みに担任の先生方は、小学校が佐藤先生、中学校が生物の小野先生、高校が体育の 大塚先生、ゼミは国際金融の芦矢教授でした。
従いまして勉強に勤しむというよりかは、高校時代から真面目に遣り出した剣道に、 特に大学ではほとんどの精力を注ぎ込みました。当時は経済の高度成長真っ盛り、とい った状況で、体育会出身者というと、何故か企業も好意的に見てくれ、優遇して採用し てくれたものでした。事実3年生の成績が出る前に三菱銀行から採用の内定を戴きまし た。今でも偶に剣道の稽古で大学にお邪魔しますが、近年の学生の就職試験の大変さに 隔世の感を禁じ得ません。
では銀行に入社したものが何故ゴルフ場勤務なのか、という疑問をお持ちの方がおら れることでしょう。実は河口湖カントリークラブは、銀座松屋デパートの資本が入って いるゴルフ場で、旧三菱銀行と松屋との結びつきが強く、その関係からゴルフ場にお世 話になった経緯がございます。
人生は正に予期せぬことが起こるものです。銀行時代にはゴルフ場勤務など夢にも考 えませんでした。ゴルフも偶にお客様接待で遣るのが精々でした。ゴルフ場勤務になっ てから、学生時代の仲間や、初めてお目に掛かる方々に自己紹介致しますと、ほとんど の方々から次のような一言を戴きます『好きな時にゴルフができて羨ましいですね』。 処が現実は厳しく、意外と仕事が忙しく、好き勝手にゴルフができる、ということは全 くないのです。
実は銀行員時代アメリカ大陸に合計8年間居りましたので、そういう過去をご存知の 方の中には、『確か君はアメリカに居る時ゴルフが上手になったからゴルフ場勤務にな ったんだよね』と誤解しておっしゃられる方がかなり居られます。しかし現実は全く逆 で、下手もへた、でございます。
当クラブは一般のゴルフ場と比べますとかなり難しいコースと言われていますが、事実 着任時にはワン・ラウンドで115〜125を叩くのが当たり前、という腕前でした。最近で こそほんの偶に100を切れることがありますが、着任当初は、ゴルフ場の社長がこんな腕 前で本当に良いのだろうか、と悲しくなることもありました。日本と比較すると、ゴル フのプレー料金が五分の一から十分の一くらい安かったアメリカ・カナダ勤務時代、何 故もっとゴルフを熱心にしなかったのだろうか、と盛んに悔やみましたが、後の祭りで した。しかし最近では、剣道同様に人生を通じて楽しめる趣味のひとつとして、腕を上 げるべくプレーする時には真剣に取り組んでおります。
(ここからは少し河口湖カントリークラブの宣伝にもなってしまうのですが)、当ク ラブは様々なゴルフ雑誌で常に山梨県ナンバー・ワンに挙げられ、更には富士山に向か って豪快なショットが楽しめるということで、日本のトップ100にも常時名前がリスト・ アップされる正に日本を代表するゴルフ場のひとつと言えます。
事実昨年10月にも、本年度カンヌ映画祭でプレミアム上映されるという映画のロケが、 富士山に向かってショットするロング・ホールで行われました。その映画の主演はニュ ーヨークでお化けを退治する『ゴースト・バスター』という映画の主演を演じたビル・ マーレイ氏。制作関係ではエグゼクティブ・プロデューサーにフランシス・コッポラ氏 が、監督にはコッポラ氏のお嬢さんというスタッフでした。
このような素晴らしいゴルフ場で働くことができ、景色・自然・おいしい空気と水を味 わい、そして夏にはコンクリート・ジャングルから発生する異常な暑さから解放されて 、誠に精神衛生上この上ない環境で日々生活できる喜びに浸っております。
皆様の中で、河口湖カントリークラブでゴルフをされたいという方がもし居られました ら、是非遠慮なく私まで直接ご連絡戴きたくお待ち申しあげます。勿論若干ですがお値 段の方もご相談させて頂きます。どうぞ今後共宜しくお願い申しあげます。
尚、昨年成蹊会の『スポーツ振興委員会』の委員に推薦されました。学生のスポーツ振 興に、忌憚のないご意見を皆様から戴ければ幸甚です。
連絡先:河口湖カントリークラブ tel:0555-73-1214
敬具

(株)河口湖カントリークラブ代表取締役社長

成蹊山梨紳士録

第1回 小林清房
旧制高等学校などと申しても、50年以上前に消えた学校制度で、名物の山梨寮歌祭も、平成14年秋にて終幕となります。 私は県内で旧制成蹊高校を卒業した唯一の生き残りです。卒業後は医学の道を歩み、現在も甲府市で小林眼科医院を開業しています。年齢の割には元気な方だと思っています。

山梨東部成蹊会 天野洋

皆様にはおかわりなくお過ごしとお喜び申し上げます。昨年6月9日、山梨東部成蹊会の発足パーティーより、早1年が経過いたしました。友田秀氏の名司会、ケンタッキーキャビナーズの渋い演奏、根岸孝彰常務理事の御祝辞、大先輩小林清房院長、黒部力夫院長の思い出ばなし、山岳部歌「山の友によせて」、しめに成蹊校歌をうたい、母校成蹊に寄せる思いを一つに感動的なスタートを切る事ができたのが、昨日のようです。以後、平形信大先輩、小林誠氏、竹内カヨ子氏の御協力を得て、山梨には数少ない同窓生故、富士山麓に別荘をお持ちの成蹊出身の方々にも入っていただいて、楽しく運営させていただいております。
その間、藤田博先輩、今井淳教授御夫妻、河盛好昭、箕作元秋先輩御夫妻、今給黎篤弘教授、西川克利氏、田村通康氏、秋沢志篤氏等、沢山の成蹊生がおみえになり、旧交をあたため成蹊に思いをはせたことでした。皆様にお会いしてつくづく思った事は、全員個性的でフレンドリーで謙虚だという事です。これは絶対成蹊教育の賜ですヨネ。
新たに山梨に移っていらした方、成蹊について興味をお持ちの方等、是非、ご一報下さい。お待ち申しております。

山梨東部成蹊会 天野洋

ページトップ
copyright (c) tsuki cafe all rights reserved.