歴史

浜野屋のおばあちゃん

と呼ばれた浜野屋二代目のおかみ、天野幸恵は満102才の長く尊い日々を終え、23年10月5日、永遠の空に旅立ちました。浜野屋別館を後に興し、Jeune、アリババ、パナマ、不二家、アダージッシモ、そして現月cafeの礎を作った、心の大きい体も大きい、優しく、強く、思いやりのある、面倒見の良い女性でした。市民病院新田院長が“素晴らしい大往生です”とおっしゃってくださいました。合掌

JEUNEの頃

約50年前、JEUNEの頃の素晴らしい写真が見つかりました!
仮装パーティの奴です!
美しい丸岡さん、凛々しい石山君、大森君もいます!
バックにマーロン・ブランドの写真、ビアズレーのイラストが……

立川談志師匠の事・・

10年ほど前のある日、私のシャンソンの師、田中朗先生が突然「天野君の処で談志をよんでちょっとした遊びをしようじゃないか」とおっしゃいました。
田中先生にはいつも驚かされます。
その数日前には、僕のレッスンに毒蝮三太夫さんがいらして、二人で毒舌辛口世間話をしていたばかりだったのですから。
勿論私は談志師匠の件に大喜びしてあっという間に当日。[フランス寄席」なんて勝手に名付けてまして、大月駅におむかえ。談志師匠[ちょっと眠たいんで寝させてくれ」我が家の応接間のソファーに横になっていただくと[暗い部屋」はないかとの事、「納戸なら」「そこがいいッ」重なったフトンの上に1時間位休まれました。
そして本番、談志師匠が田中先生を大切にしている事がよくわかる弾き語りシャンソンと歯切れのいいトークといった内容の素晴らしい夜でした。
帰り際、談志師匠が「納戸で寝かされたのはおまえんとこが初めてだよ」といって帰られました。
ああなつかしい!!そしてシャンソンにまで造詣が深かった天才談志師匠・・・・合掌・・・・・

なつかしい顔!

不二家店長 藤原勝美さん!大月駅をおりると“かっちゃん”がいた!いつも笑顔で面倒見の良い大月の顔でした。今は牧丘倉科の故郷に静かに眠っております。そしてアリババのママ
この写真若いネ〜!!

大月駅前開発の為

なつかしいアダージッシモの東側エントランス

左の旧アダージッシモが正に倒れ右に新月cafe'が表れた瞬間です。
果してそれは良かったのか、良かったのか?

38年間ありがとうございました

大月駅前を守ってきた名物ママ節ちゃんの「アリババ」が、2008年5月31日をもって閉店いたしました。本当に有難とうございました。
アリババで会って結ばれた200組を超えるカップル!
ドームで飲んだくれて朝まで眠ってしまった君
調子に乗りすぎていつもママに叱られていたあなた
先生になりたてだった・・・学生だった・・・役所や東電に入りたてだった君、きみ、キミ・・・
アリババは皆んなの青春だった

大月駅前開発問題や節ちゃんママの目の病い等で、誠に残念ながら閉店せざるを得なくなってしまいました。残念至極です。ママ!本当にご苦労様でした。
節ちゃんママはまだまだ元気です。皆様是非ご連絡お願いします。
〒409-0502
大月市鳥沢寺向2651 天野節子あて

Adargissimo

何といっても故平山進マネージャーの存在!
いいキャラしてたなあ!
中西夏之先生も、いつもいらして下さったり、思い出がいっぱいです。

Panama

東京に通っていた学生諸君やサラリーマンの方、終わると小さなPanamaにかけつけて席のとりあいをしていました!
もう楽しかった手拍子とカラオケAETの連中も夢中でした。

JEUNE

もう今から42年程前、私は未だ大学生だった頃、
故郷大月駅前にJEUNEというこじゃれた店を初めて作りました。
その時の記録が度重なる引越しで失われてしまい、
今残るは優れたセンスの持主、大森くんの描いたマッチの原稿のみです。
成蹊大学美術部の部室の様相をみせていたJEUNEは驚くほどの人材がたわむれていました。
このマッチのデザイン半世紀前の日本のものですよ!信じられません!
そして 電話番号に注目・・・
大月375番ですよ!!

1965年4月11日大月駅前に開店したJEUNEの写真が少し見つかりました!なつかしい最初の店です!

Entrance

Bar counterの太田驚哉氏が

バックに大森君の壁画がチラッとみえます!

大木葉子さん若い!!

“あみちゃん”も

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