成蹊高校第12回卒業(1961年、昭和36年)3年D組クラス会が担任の平田博則先生をお迎えして、当店アダージッシモにて行われました。出席者17名の懐かしい顔に感激の1日でした。幹事の登内君ご苦労様でした。




安倍内閣総理大臣の辞任をまことに残念無念に存じます。総理はこの1年間、高邁な理想をかかげ、その実現に身も心も献げてまいりましたが、過去の年金問題や閣僚の不祥事等に脚をすくわれ、健康を害し、ついに政権中途にておやめにまる決心をなさったことは断腸の思いであったとおもわれます。われわれ同窓生は、いま総理をあたたかく見守り、お身体の回復を祈りつつあたらしい出発に期待しようではありませんか。






2004年4月9日、大月じゅうの本当に多くの市民がお世話になった、大月市民病院整形外科の今給黎篤弘先生のお別れパーティがアダージッシモで行われました。ちょっとこわ面だが優しい先生は、東京医大整形外科主任教授であらせられ、非常勤で大月市民の身体を約40年間も診てくださいました。
本当に感謝感激です!!これからも大月をお忘れにならず、ご健康でご活躍なさる事をお祈り申し上げます。
先生は成蹊高校第八回のご卒業です。




2004年5月26日、文学部第二回生の星野由里子さん。58才の若さで逝去されました。由里子さんは大月の旧家星野家に生まれ、品の良い優しいお人柄で、第一回山梨東部成蹊会にも、地元唯一の女性としてご出席なされた白髪のお姿を、今もなつかしく思い出されます。ご冥福をお祈りいたします。



柏木洋子さんを 高津洋子さんと言いかえると、すぐさまあの懐かしくも美しい笑顔を思いおこす人は、我々の学年ばかりではないと思う。

高津さんがまっしぐらに老人介護の道を進まれたと知ったとき、みんな“ああもったいない!”と惜しみつつも、尊敬の念をもって、クラス会などでおおいに話題になっていたものです。

その柏木洋子さんが文京区立特別養護老人ホーム「くすのきの郷」の施設長として、ここに10周年を迎え“記念樹”を上梓なされた。同級生として心からめでたく、喜ばしく、誇りに思っている。その上、施設の名が恩師 楠本QP先生を彷彿される事も、ことのほか嬉しい。

柏木さんの今日までの限りない努力に敬意を表し、更に10年、20年と健康にくれぐれも留意し、この道を邁進されん事を切に願わずにいられません。






私たちの母校“成蹊学園”は、中村春二先生が「成蹊実務学校」をお創りになられてから今年90周年。来る2012年には100周年を迎える。輝かしい成蹊の栄光は、このホームページの上にある100th Anniversaryをクリックしていただくと、現在日本をリードして活躍されている諸先輩の名前を見るだけで余りのすごさに驚いてしまう!!
一人の優れた人物を生み出す事でさえ至難の業がこんなにも多くの力を生み出したという事実は、成蹊教育のもつ何らかの要素の結果という他に考えられない。

先日、同級生の小林誠君から“心の力”心力歌をいただいた。あらためて感動させられた!校歌に歌われる成蹊精神の原点だ。高校・大学から成蹊に入った方は知らない方もいらっしゃると思うのでここに第八章の抜粋を記す。

限り無き心の力を知れ 果てなき心の霊を知れ
迷ひの作れる天地の他に 真の天地のあるを見よ

身に享け得たる幸を あつくわが心に保ち
ひたすらにわれ依らず またひたすらに疎んぜず
悠々として立ち 平らかに思い安らかに動けば
物はみな我に親しくして 人はみな我が友たるべし
独り在ればわれ独り楽しむ 共にあれば人と共に楽しむ

進みて国事に参ずれば よく百年の計を立て
退ぞきて野にをる時は 風を改め俗を移す

限りある生を享くれども 限りなき力を後にとどむ
限られし地に身をおけど 限られぬ光を長に放つ

心力歌の精神に少しでも近づける様、田舎にあっても誇りを持って生きていたい。そして100th Anniversaryの事業に母校の発展の為、多少とも恩返ししなければと思っている。

最近お会いした成蹊生
御実家は高円寺でいらっしゃるが、大月のNEC山梨勤務アクセス系デバイス部長の関口英五氏。大学工学部第7回生でいらしてお子様が成蹊小学校在学中の成蹊ご一家!!仕事とワインを愛するたのもしいタフガイです!!




御殿場に住まい居ります森雅宏と申します。
今日はおいしく楽しいひと時を過ごさせていただきまして有難うございました。大先輩ではありますが、同窓の想い、初めてお会いした方のようではありませんでした。お人柄から、好々爺とお見受けいたしました。(どうも失礼)確かに、歌唱をおやりのように響きのあるすばらしいお声と拝聴いたしました。私は千葉の松戸に生れ落ち、その地より母校吉祥寺まで4年間通学しておりました。環七の外から外まで通うことに若干の理不尽を感じながらそれでも、その時間の読書を楽しみに通いました。大月は中央線でも楽しい駅でした。富士急の始発駅、岩殿山稚児落としの眺め、ゆったりとした扇山、その奥に聳える雁が腹摺山、また、これから始まる笹子越え、その後車窓に広がる春霞に煙る甲府盆地。殊に、遠く残雪を頂く白根三山、鳳凰三山を望む勝沼から塩山に下る大きなループは中央線のハイライトの一つでした。喜寿を二年前に迎えた私の母は若い頃、山歩きが好きで夜行列車を午前三時に大月で下車し当時の富士山麓電気鉄道に乗換え、暮地より三ツ峠に向かった話をよく聞きました。大月にはこのような思い入れがあります。山に囲まれた姦しい20号の喧騒。うなぎの寝床のような大月の町に極めてゆったりとしたテンポのお店は大変魅力でした。私の想いの中の大月であった気がします。これからも遊び心いっぱいのゆったりとしたお店をお続けください。今日は楽しい思い出を有難うございました。またお邪魔します。もしお時間がおありのときに以下の稚拙なHP、ご高覧いただければ幸いです。
敬具

富士高原鉄道ホームページhttp://www.d4.dion.ne.jp/~m_mori


成蹊大学 昭和47年度卒業生 小田部裕
皆様始めまして。私は平成12年3月から、河口湖カントリークラブに勤務し、現在河口 湖に単身赴任しているものです。この度天野さんからのご指名により、誠に僭越でござ いますが筆を取らせて戴きました。

成蹊には小学校4年生から大学(経済学部)まで、合計13年間お世話になりました。 ご多分に漏れず、小学校から大学まで一緒に通った多くの仲間と同様、人間性を重視す る一貫教育の良いところを(自分にとって都合の良いところだけか?)、十二分に謳歌 して楽しい学園生活を送らせて戴きました。

因みに担任の先生方は、小学校が佐藤先生、中学校が生物の小野先生、高校が体育の 大塚先生、ゼミは国際金融の芦矢教授でした。

従いまして勉強に勤しむというよりかは、高校時代から真面目に遣り出した剣道に、 特に大学ではほとんどの精力を注ぎ込みました。当時は経済の高度成長真っ盛り、とい った状況で、体育会出身者というと、何故か企業も好意的に見てくれ、優遇して採用し てくれたものでした。事実3年生の成績が出る前に三菱銀行から採用の内定を戴きまし た。今でも偶に剣道の稽古で大学にお邪魔しますが、近年の学生の就職試験の大変さに 隔世の感を禁じ得ません。

では銀行に入社したものが何故ゴルフ場勤務なのか、という疑問をお持ちの方がおら れることでしょう。実は河口湖カントリークラブは、銀座松屋デパートの資本が入って いるゴルフ場で、旧三菱銀行と松屋との結びつきが強く、その関係からゴルフ場にお世 話になった経緯がございます。

人生は正に予期せぬことが起こるものです。銀行時代にはゴルフ場勤務など夢にも考 えませんでした。ゴルフも偶にお客様接待で遣るのが精々でした。ゴルフ場勤務になっ てから、学生時代の仲間や、初めてお目に掛かる方々に自己紹介致しますと、ほとんど の方々から次のような一言を戴きます『好きな時にゴルフができて羨ましいですね』。 処が現実は厳しく、意外と仕事が忙しく、好き勝手にゴルフができる、ということは全 くないのです。

実は銀行員時代アメリカ大陸に合計8年間居りましたので、そういう過去をご存知の 方の中には、『確か君はアメリカに居る時ゴルフが上手になったからゴルフ場勤務にな ったんだよね』と誤解しておっしゃられる方がかなり居られます。しかし現実は全く逆 で、下手もへた、でございます。

当クラブは一般のゴルフ場と比べますとかなり難しいコースと言われていますが、事実 着任時にはワン・ラウンドで115〜125を叩くのが当たり前、という腕前でした。最近で こそほんの偶に100を切れることがありますが、着任当初は、ゴルフ場の社長がこんな腕 前で本当に良いのだろうか、と悲しくなることもありました。日本と比較すると、ゴル フのプレー料金が五分の一から十分の一くらい安かったアメリカ・カナダ勤務時代、何 故もっとゴルフを熱心にしなかったのだろうか、と盛んに悔やみましたが、後の祭りで した。しかし最近では、剣道同様に人生を通じて楽しめる趣味のひとつとして、腕を上 げるべくプレーする時には真剣に取り組んでおります。

(ここからは少し河口湖カントリークラブの宣伝にもなってしまうのですが)、当ク ラブは様々なゴルフ雑誌で常に山梨県ナンバー・ワンに挙げられ、更には富士山に向か って豪快なショットが楽しめるということで、日本のトップ100にも常時名前がリスト・ アップされる正に日本を代表するゴルフ場のひとつと言えます。

事実昨年10月にも、本年度カンヌ映画祭でプレミアム上映されるという映画のロケが、 富士山に向かってショットするロング・ホールで行われました。その映画の主演はニュ ーヨークでお化けを退治する『ゴースト・バスター』という映画の主演を演じたビル・ マーレイ氏。制作関係ではエグゼクティブ・プロデューサーにフランシス・コッポラ氏 が、監督にはコッポラ氏のお嬢さんというスタッフでした。

このような素晴らしいゴルフ場で働くことができ、景色・自然・おいしい空気と水を味 わい、そして夏にはコンクリート・ジャングルから発生する異常な暑さから解放されて 、誠に精神衛生上この上ない環境で日々生活できる喜びに浸っております。

皆様の中で、河口湖カントリークラブでゴルフをされたいという方がもし居られました ら、是非遠慮なく私まで直接ご連絡戴きたくお待ち申しあげます。勿論若干ですがお値 段の方もご相談させて頂きます。どうぞ今後共宜しくお願い申しあげます。

尚、昨年成蹊会の『スポーツ振興委員会』の委員に推薦されました。学生のスポーツ振 興に、忌憚のないご意見を皆様から戴ければ幸甚です。

連絡先:河口湖カントリークラブ tel:0555-73-1214

敬具

(株)河口湖カントリークラブ代表取締役社長


第1回 小林清房
旧制高等学校などと申しても、50年以上前に消えた学校制度で、名物の山梨寮歌祭も、平成14年秋にて終幕となります。 私は県内で旧制成蹊高校を卒業した唯一の生き残りです。卒業後は医学の道を歩み、現在も甲府市で小林眼科医院を開業しています。年齢の割には元気な方だと思っています。




皆様にはおかわりなくお過ごしとお喜び申し上げます。昨年6月9日、山梨東部成蹊会の発足パーティーより、早1年が経過いたしました。友田秀氏の名司会、ケンタッキーキャビナーズの渋い演奏、根岸孝彰常務理事の御祝辞、大先輩小林清房院長、黒部力夫院長の思い出ばなし、山岳部歌「山の友によせて」、しめに成蹊校歌をうたい、母校成蹊に寄せる思いを一つに感動的なスタートを切る事ができたのが、昨日のようです。以後、平形信大先輩、小林誠氏、竹内カヨ子氏の御協力を得て、山梨には数少ない同窓生故、富士山麓に別荘をお持ちの成蹊出身の方々にも入っていただいて、楽しく運営させていただいております。

その間、藤田博先輩、今井淳教授御夫妻、河盛好昭、箕作元秋先輩御夫妻、今給黎篤弘教授、西川克利氏、田村通康氏、秋沢志篤氏等、沢山の成蹊生がおみえになり、旧交をあたため成蹊に思いをはせたことでした。皆様にお会いしてつくづく思った事は、全員個性的でフレンドリーで謙虚だという事です。これは絶対成蹊教育の賜ですヨネ。

新たに山梨に移っていらした方、成蹊について興味をお持ちの方等、是非、ご一報下さい。お待ち申しております。

山梨東部成蹊会 天野洋